自分とか、ないから――自己探求の先に見えたもの

自分とかないから

最近話題になっている「自分とか、ないから」という本を読んだ。

この本を通じて、コーチングでよく語られる「自分軸」や「自分探し」、さらには「私という存在」について改めて考える機会を得た。その気づきをシェアしたい。

自分とか、ないから。教養としての東洋哲学 (サンクチュアリ出版)
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目次

「自分軸」の先にあるもの

コーチング界隈では「自分軸」や「あるがままの自分」といった言葉がよく使われる。この本の中で紹介しているブッダの悟りは、突き詰めると「自分なんて、ない」という境地に行き着くことだった!

正直に言うと、私はスピリチュアル系の「エネルギーが…」「波動を上げて…」「ワンネスが…」といった言葉にあまりピンとこなかった。どこか抽象的で、体感として理解しにくかったから。

そういうものだ、と言われても、理系の思考の私は「なんの説明もなく言われても、わからない!」と思っていた。

ここ最近になり「自分がなくなる」という感覚を少しずつ受け入れられるようになった。それは、西洋と東洋の自分や自己に対する感覚の違いが腑に落ちたから。

ポッドキャストはこちら。

「自分とか、ないから」という本の魅力

この本の著者・しんめいPさんは、東大卒のこじらせニートというユニークな経歴を持つ。東洋哲学をざっくりと今風にまとめ、タメ語で書かれた本書は、軽快な語り口で東洋思想を学ぶことができる。

東洋思想や仏教について、ほとんど知らなくても大丈夫。安心して手にして欲しい。面白いから。

本書を紹介してくれたのは、私が現在お世話になっている人材育成コンサルタントの吉田幸弘さん。彼の新刊『仕事が早いリーダー、仕事に追われるリーダーの時間の使い方』も本日発売されているので、時間の使い方に悩む方にはおすすめだ。

しんめいPさん自身は東洋哲学や仏教の専門家ではないが、東洋思想に触れたことで人生が楽になったという経験を持つ。そのため、本書は難しい専門書ではなく、日常的な感覚で読めるよう工夫されている。

特に、「自分軸」や「他人軸」、「他人の目が気になる」という悩みを持つ人には、多くの気づきを与えてくれる本だろう。

「自分がない」とはどういうことか?

「自分とか、ないから」と言われたとき、どんな感覚がするだろうか?

私の場合、最初は少し抵抗感を覚えた。「自分がない」と言われると、自分の存在そのものを否定されるように感じたからだ。

よく考えてみると「自分がない」とは、空っぽや虚無、ましてや無価値ではなく、「自分という確固たる、固定された確かな存在はない」ということななのだ。確かに、私たちは環境や経験によって変化し続ける存在であり、「確固たる自分」というものを探そうとすると、かえって苦しくなる。

人生の苦しみの、根本的な原因。知りたくない?苦しみの原因、それは、「自分」 なのだ(!)すべてが変わっていくこの世界で、変わらない「自分」をつくろうとする。そんなことしたら、苦しいにきまってるやん。By しんめいP(自分とか、ないから)

ここで思い出したのが、ワンネス(すべてがひとつにつながっている)という概念。正直なところ、これも最初は「ふーん、そうなの?」という程度の理解だった。

でも、ビッグバンの理論を考えたときに、すべてはもともとひとつのエネルギーから生まれ、そこから枝分かれしているという事実に気づいた。

こう考えると、ワンネスの概念も少し納得できる。

河合隼雄先生との出会い

「自分とか、ないから」に興味を持ったのは、最近、ユング心理学者・河合隼雄先生の『ユング心理学と仏教』を読んでいたからでもある。

西洋の心理学と日本人の心の在り方を比較すると、日本人は無意識のうちに仏教的な価値観を持っていることに気づく。河合先生自身も、日本的な集団意識に違和感を覚え、西洋の心理学を学びに渡米。その後、ユング心理学を研究し、日本人の精神性を説明するには仏教が重要だと気づいた。

私自身も、地方の連帯感や世間体を気にする文化に違和感を覚え、西洋の「個の確立」に憧れ、ライフコーチングをアメリカで学んだ。

しかし、日本のクライアントと向き合う中で、「個を確立する」だけでは説明がつかない違和感を感じていた。そんなとき、河合先生の本を読み、日本的な精神文化の深さに改めて気づかされた。

この上の画像は、ChatGPTにユング心理学、東洋と西洋の融合、深層心理、ワンネス、陰陽などをイメージして作ってもらったもの。

「無い」とは「無分別」

「無い」という言葉には誤解がある。「無」と聞くと、空っぽで何もないように感じるが、本来の意味は「無分別」だ。

無という漢字は、もともとは舞うという行為をあらわしたものだったそうだ。無我夢中で舞う。そんな様子。ここでも、自分という感覚が薄くなり、有るけど無い状態になる。

つまり、「自分と他の区別がない状態」のことを指す。仏教では、自我を確立するのではなく、むしろ「自他の区別をなくす」ことを重視する。これが「無」や「空」の概念につながる。

この考え方を読んで思い出したのが、量子力学の話。

物質を細かく分解していくと、最終的には「波」のような曖昧な存在になるという理論がある。昔の人が悟りとして捉えていたものが、ようやく科学で説明できるようになったと思う。

自分がなくなると、どうなるのか?

「自分がなくなる」と聞くと、不安を感じるかもしれない。しかし、実際には「悩みがなくなる」状態、いや最高に気持ち良いらしい。

例えば、脳科学者のジル・ボルト・テイラー博士は、脳卒中によって左脳の機能を失い、一時的に右脳だけで生きる状態になった。そのときの感覚を彼女は「自分がすべてと一体化して、最高に気持ちよかった」と語っている。

仏教の教えでも、「これが自分だと言えるようなものは何ひとつない」と説かれる。確かに、自分は食べたものや環境の影響を受け続け、絶えず変化している。固定された「自分」など、最初から存在していなかったのだ。

奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)  ジル・ボルト・テイラー博士の体験を書いた本

まとめ

「自分とか、ないから」という本を通じて、「確固たる自分」を求めることの無意味さに気づいた。私たちは環境や経験によって常に変化し、他者ともつながっている。

「自分がなくなる」と聞くと抵抗を感じるかもしれないが、それは「自分という枠を超えて自由になる」ということでもある。

自分探しに疲れた人には、一度「自分なんて、ない」と思ってみるのも、案外心が軽くなる方法かもしれない。

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この記事を書いた人

40代、50代からの成長を支援するメンタルコーチ。後半の人生をより豊かに善く創造する方法を独自の視点で楽しくお伝えします。The Life Coach School 認定マスターライフコーチ。元遺伝子編集研究者の理系女子。コーチングは愛と勇気。

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