あなたは正しくありたいですか?幸せを選びますか?
これは、前回のポッドキャストで、潜在意識から人生を変えるソウルメンターの中野左知子さんのインタビューで出てきた問いです。
愛の実践書「奇跡のコース」の中の言葉。
この問に答えて、その通りに日々の選択をするだけで、人生が確実に変わる。
そんな大切な問いなので、今回のポッドキャストでさらに深堀りしました。
ポッドキャストはこちらからお聞き下さい。
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究極の質問:正しくありたいか?幸せになりたいですか?
正しく幸せになりたい
実は、私は以前は「正しくありたいし、幸せにもなりたい」と思っていました。
正しくあることが幸せになることだと信じていました。
なぜなら、子供の頃から、正しくありなさいと学んできたから。
例えば
- 学校の道徳の授業
- 社会の常識
- 迷惑をかけては駄目
- 世間体
- 漫画やドラマ
- 幸せの形はこう有るべき
正しくあることが幸せになる条件、正しければ、自動的に「幸せ」になると盲目的に思い込んでいました。
今おもえば、正しいこと=幸せになる という考え方は、いわゆる「正しいこと」をする人を育てるには、理にかなった戦略だと思います。
「正しいこと=幸せ」と信じて生きていて、うまくいっている間は何も問題はおきない。
でも、正しいことをしているのに、幸せにならない。正しくあろうとすればするほど、うまくいかない。苦しくなる。
例えば、毎日なにかにイライラ、モヤモヤ。子どもや配偶者にきつくあたる。自分でもやめたいのに、どうしていいのか分からない。
結婚して夫婦間のすれ違いが大きくなる、子どもが言うことをいかない、仕事でのコミュニケーションがうまくいかない。
こんな悩みでご相談にこられる方も多いです。
正しいことをすると、幸せになると思っている時は、正しくあることが最優先、幸せは後になってしまう。
つまり、正しくあることを幸せよりも優先して選んでいる。
あなたの正しさと、誰かの正しさが違うとき、お互いの正しさがぶつかり摩擦が生まれ幸せからは遠ざかります。
今日のエピソードは、中野左知子さんのインタビューからインスパイアされたものです。ぜひこちらをご覧の上続きをお読みください。

「正しいこと」の多くは絶対的な真理ではない

「正しいこと」の基準は何?それは本当に真理として正しいのか?
例えば、アメリカで2歳の息子を保育園に預けて働いていた時に、同じぐらいの子どもを持つフランス人の女性上司サブリナとの会話で
私:毎朝、息子に朝ご飯を食べさせるのに時間がかかるんだけど、子どもにどんなものを朝用意してる?
サ:えっ?ちょっと待って、子どもに朝ご飯を用意して食べさせてるの?保育園は、朝のスナックタイムないの?
私:いちおうあるけど。朝ご飯は、食べさせていくものかと。
サ:保育園で食べるんだから、朝は何もしないわよ。何のために保育園に連れて行ってるの??
逆に、サブリナにびっくりされて、
「子どもに朝ご飯を食べさせる」という私の中にあった、母親はこうあるべき、子育てはこうするべきの一つがどっかーんと消えました。
朝食を食べさせないといけないわけではないし、食べさせないからといって、ダメな母親でもない。
「正しいこと」の多くは、「幸せになること」に比べたら、とるに足らないことが多いです。
正しくあれば、自動的に幸せになるのは本当?

これは嘘です。
なぜなら、私が正しくあろうとすれば、必ず、必ず、私の正しさと違う人を間違っている人とジャッジして、私の正しさに合わせるように、相手を変えようとするから。
私の思うような子どもに育てるために、その子どもの本質とは関係なく、私の思う理想の子ども像を押し付ける。
それができない子は、ダメな子どもとジャッジする。
「本当は怒りたくないけれど、あなたのためを思って怒っている」という言葉で、怒られた経験を持つ方も多いと思います。私もめちゃくちゃあります。
子供心に「いや、それだけじゃなくて、世間体が大事だからでしょ」とか。本当に私のことを思っているなら、なんでわからないの?とか思っていました。
本当に自分のことを思っての言葉か、大人の見栄やエゴからの言葉か、子どもは敏感に感じるもの。
私が幸せを感じるような夫婦関係になるために、理想の夫のあるべき姿を夫に押し付ける。
普通ならこういう時にこうするはず。優しい人なら、こんな時こんな言葉をかけるはず。
そうでない夫はダメな夫とジャッジする。
「ラーメンの袋は、その場ですぐに捨てるべき。カウンターに投げっぱなしは、あり得ない!(非常識すぎて信じられない)」
とか。あるあるです。
自分だけならまだよいですが、自分の正しさの枠の中に相手も入れようと必死になります。なぜなら、それが私の幸せになるから。
それで聞いてくれる相手なら、あなたは気持ち良いです。相手の気持ちは分かりませんが。
聞いてくれない相手なら、、、、
怒ったり、私が傷つくとか感情に訴えたり、ありとあらゆる手を使って、相手を変えようと必死になり、イライラや怒り、ストレスがたまり、どこかで爆発します。
その結果、子どもや夫、相手をさらにジャッジする。ジャッジメントは、相手からの距離をつくり、あなたが孤立してしまう。

本当は一番大切にしたい人なのに、現実は逆の方向にどんどん進んでしまうのは、とても悲しいです。
最優先の意図は必ず叶う
正しくあることを優先すると幸せから遠ざかる。
なぜなら、あなたの最優先の意図は「正しくあること」だから。これは叶う。
だけど、幸せは後回しになる。
本当に幸せになりたいのであれば、何よりも幸せになることを最優先にすること。これ以外はありません。
正しくありたいと思うほど、感情のスケールが下がりやすい
正しくありたい気持ちの強さは、そうでなければ不幸になる、人生が駄目になる、人からバカにされる、自分が怠け者になる。宗教では、地獄に落ちるとか。
不安や恐怖の強さの裏返し。
だから、感情のスケールも下の状態になる。
願えば、かなう エイブラハムの教えの第22章 感情のスケールを見てみましょう。
感情のスケールが上の方が、いわゆるエネルギーが高い、波動が高いと言われる状態で、この気持ちよい感情から何かを決めたり、行動するとたいていはうまくいきます。
あなたが正しさにこだわっているとき、そしてそれが叶わないとき、どんな気持ちになるか、このスケールで見てみましょう。
- 喜び・気づき・力があるという感覚・自由・愛・感謝
- 情熱
- 熱意・意欲・幸福
- 前向きな期待・信念
- 楽観的な姿勢
- 希望
- 満足
- 退屈
- 悲観的な姿勢
- 不満・苛立ち・焦り
- 打ちのめされている状態
- 失望
- 疑い
- 心配
- 非難
- 落胆
- 怒り
- 復讐心
- 嫌悪・憤り
- 嫉妬
- 不安・罪悪感・自信喪失
- 恐れ・悲しみ・うつ状態・絶望・無力感
正しくありたいと強く思うほど、正しくないことを目にすると、いとも簡単に感情のスケールを下へ、下へと下がっていくことが分かると思います。
波動的やエネルギー的にいうと、波動がとても低い状態になりやすい。
そして、あなたの波動やエネルギーと同じ波動やエネルギーのものが、あなたの現実をつくります。
正しくあろうとすればするほど、幸せから遠ざかる。
私もこのことをハッキリと自覚した時は、なんとも言えない感情になりました。それまで正しい=幸せだと思っていたのに、、、それは間違いだったの?
受け入れがたいような、まだ抵抗したいような。
「正しくあること」を手放すのは未知の世界への一歩

あなたは、正しくありたいですか?幸せになりたいですか?
これまで何十年も正しくあることが「人として正しい生き方」だと思いこんでいた私が、本当に「正しくあること」を手放したのは、一冊の本との出会いです。
経営心理学者でカウンセラーの飯田史彦(ふみひこ)先生の「生きがいの創造」です。
この本は、生前記憶を持つ子ども達から始まり、前世や過去世の記憶などの記録から、魂の存在やより大きな偉大なものの存在を、論理的に合理的に解釈したものです。
もともと大学教授の飯田先生は、目に見えないものをできるだけアカデミックに解釈して、分かりやすく伝えられています。
私がとても共感したのは、飯田先生の押し付けるのではなく、あなたが自分の人生のために自分で選んだらいいですよ。と伝えられているから。
「私は実に理性的な人間ですので、スピリチュアルな仮説を認めて、その知識を大いに活用しながら、充実した人生を送ります。仮説を認めるのと認めないのと、どちらが自分の人生にとって有意義な価値観であるか?私には、よくわかるのです。なぜなら、私は、実に合理的な考えの人間ですから」
生きがいの創造 飯田史彦
合理的に考えて、正しくあることを選ぶと、不幸になるのが目に見えている。ならば正しくあることを手放して、幸せであることを常に選ぶ。
自分で意図的に選ぶこと。
科学的に証明されていることは限られている
科学的に証明されていない、感情のスケール、エネルギーや波動、魂のことは信じないし、疑わしい。と私も思っていました。
幸運にも、私自身が大学院で生命の紀元や進化、遺伝子の最先端の研究にふれ、アメリカでも遺伝子編集というまさに最先端で研究をしていたことから、人間が分かることには限界がある。この世は、人間の知識ではまだまだ理解しきれないことで溢れている。ことを身を持って体験しました。
さらに脳科学でいえば、20年前、10年前に正しかったことが、実は間違っていました。とか。
科学的に証明されていることは、この世の真理のほんの僅かなこと
証明されたことだけを信じるとは、人間というちっぽけな知識の枠の中でこの世を理解しようとすること。しかも間違っていることもよくある。
むしろ科学的に証明されていないことを受け入れることの方が、よりこの世の本質を理解することになる。
「自分が正しくあること」を手放すとは、私にとってはまさに自分の知識や理解の枠の外に出ることでした。未知の世界へ踏み出すこと。目に見えない世界、スピリチュアリティを受け入れることでした。
未知の世界へ踏み出すことだから、怖い。エゴが必死に「正しさ」にしがみつくのも分かります。
が、幸せになるためには、幸せを選ぶこと。
このシンプルで当たり前のことを日々するだけで幸せになるなら、合理的に考えて、私は幸せになる行動を選びます。
正しくありたいですか?愛を選びますか?

「正しくありたい」を手放してから、しばらくしたある日曜日のことです。遅めのシリアルを食べながら、ぼーっとしていたらふっと
「私が愛の源泉」
という、メッセージがふっと降りてきました。
それまで「愛は受け取るもの、与えられることで感じられるもの」とずっと思っていました。だから愛を感じられないと、私は不幸。なんで愛を感じさせてくれないの!と相手に苛立つ。
例えば相手がないなくても、愛を感じることはできる。とか聞いても、ふんっ!それでも私は愛が欲しい!!って。
でも「私が愛の源泉」という言葉がおりてきたとき、あっ、相手から愛を受け取るとか、受け取らないとか、愛されるとか、関係ない。本当の愛は、私の中にあるもの。
ということが、ようやく、ほんとうに分かりました。
それと同時に、若い時に別れたあとにとても苦しかった恋愛を思い出しました。
その当時は、彼への愛が深いから、だから私はこんな闇のなかにいる。こんなにも苦しいんだ。って、その後何年も思っていました。
でも違いました。
確かに彼のことは好きだった。その気持ちに嘘はないです。だけど、私の行動は「愛」からの行動か?というと、違いました。
その当時の私は、愛を体現できる人ではなかった。
もし本当に「愛」を体現していたなら、私は別れなかったし、もし別れたとしても苦しみ、闇の中に入ることもなかったです。
なぜなら、闇は存在しないから。そこに光(愛)があれば、闇は消えるから。私の大好きなライフコーチ、スティーブ・チャンドラーの本の中の言葉です。
闇とは光(愛)がない状態のこと。
さちこさんによると、愛の実践書の奇跡のコースは、とても難しく簡単には分からないような文章で書いてあるそうです。
なぜなら、愛を簡単に分かった気になると、かえって良くないから。
まさに私の若い頃は、全く愛ではない行動、むしろ愛とは反対の不安や恐れからの行動を「愛」と勘違いしてましたから。
「愛」がわかったとしても、実践するのはとても難しい。
その後、20年以上かかって、愛に目覚めた人、バイロン・ケイティの言葉がやっと腹落ちしました。
私はあなたを愛している。それに対してあなたができることは何もないのよ。
これです。
相手が私にできることは何もない。相手に期待することは何もない。あなたがあなたであるだけでいい。それでも私の愛は変わらない。
これを日々の行動で示すこと。
その行動を選ぶことが、バイロン・ケイティの言う「愛とは行動」ということで、愛の実践なのかなと。
ここまでが、今の私の愛と幸せへの解釈です。愛を実践していけば、さらに深いところで何か分かるかもしれません。
このブログを読んで、よく分かるという方も、よくわからないという方もいると思います。でもそれでよいんです。
あなたの魂の学びはあなただけのもので、あなたにとって一番良いタイミングやスピードで学んでくものです。
もし本当に幸せになりたいのであれば、なによりも「幸せを選ぶ」と決めて下さい。そしてその通りにその瞬間、瞬間を生きる。
それだけで、間違いなくあなたの人生が変わります。
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